日本の記録から消され塗り替えられた情報とその他歴史

 従来の日本の情報収集要領は、京都御所の外側に神社を配置し、神社の外側に寺院を配置していた。当然、寺院の周囲には檀家が存在し不審者、不穏な動きは檀家から寺院へ情報が上がり、寺院から神社へと上がり、神社から御所へ報告される流れであった。しかし、明治維新が起こり、この機能も記録も日本の歴史から消されている。また、文化的なものも消されている。東北と言えばイメージは文化的に遅れている。貧困である。と感じる人が主流を占めていると思うが、京都と並ぶ文化を誇ったのが平泉(岩手県)であり、ドイツと交易していたのが佐竹藩(秋田県)であったが、やはり明治維新で伊達藩(宮城県)以外の記録は消されている。
 消されずに残ったものは、九州から本州北端まで諜報員が利用する山岳ルートであった。これは山里に降りずに山中だけを移動できるルートで第二次大戦中まで利用されていたが、日本の敗戦により、米軍に摂取されて山岳ルートは消えたが主要都市町村を結ぶルートに作り替えられた。そして米占領軍の撤退と共に記録と記憶は消されてしまった。
 明治維新の背後には白人がいたことから、日露戦争は勝たせて貰ったのであり、第二次大戦は負けるように仕向けられていたのである。そして普通の人々には見えない日本の独自情報網は消え去っている。つまり連中は情報の重要性を理解している故に日本が独自の判断ができない様に、その根源となる情報組織を潰したのである。
 現代の日本と違い、当時の日本人は情報の重要性を理解していたのであるが、今は見る影もない。

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