チベットに関わる中国の動向
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ダライ・ラマはチベットが中国人民解放軍に武力制圧されると、1959年にインドへ亡命してチベット亡命政府を樹立した。過去、ポタラ宮の地下には選ばれたチベットの少女が、お付きの人物とともに身の回りの世話をするために約5年の期間使えている。そのため選ばれた少女の家族も名士的な尊敬を受けるものであった。この様なチベット仏教に関連する文化が破壊されたためにダライ・ラマは亡命したのである。そして1989年1月28日、チベットに残っていたパンチェン・ラマ10世は中国のチベット統治策の誤りを演説した直後に急死した。
1995年5月14日、ダライ・ラマ14世がパンチェン・ラマ11世として公式に承認した6歳の少年は、5月17日、中国政府に連行され両親ともに行方不明となった。そして中国は別の6歳の少年をパンチェン・ラマ11世と承認し現在に至っている。どちらの少年も現在は31歳になっている。
中国政府に連行されたパンチェン・ラマ11世は中国において普通の人よりは良い待遇で過ごしているとのことであり、殺害される事はないという。もし殺害されれば分かるため中国政府もそこまではできないという。中国政府が選んだ人物は完全に偽物かと言うとチベット方式の選定要領ではないと言うことであり、中国も日本で言う巫女の様な人物を使いパンチェン・ラマ11世を選定している。しかし中国が選定した人物がチベット国内に住んでいた場合、チベット仏教の関係者が接すれば、本物かどうかが分かることになるため中国に住まわせているという。中国はパンチェン・ラマ11世としての政治的利用価値を低下させない処置をしている。
ではダライ・ラマとパンチェン・ラマの関係はどうかと言うと、その地位は対等であるという。そして役割は宗教的な部分でダライ・ラマがチベット国内の統治にあり、パンチェン・ラマは外国との関わりの部分を担うものである。
更にチベットに関わる裏の歴史を見れば、アドルフ・ヒトラーもオカルト的な面からチベットに調査団を派遣していたし、戦後、アメリカ軍はチベットで地底人と言われる女性を捉えアメリカ本国に拘束しているのである。今の中国は現代国家的な都市を持つ工業化されたイメージであるが、1980年代は気功、特殊な能力を持つ人々を多数擁するオカルト的な面を持っていた国家であったが、現在はそのイメージを消し去ったかの様である。そのため中国はチベットの資源だけが目的でチベットを占領しているとは考えられないのである。