チンギス・ハンと当時の支配層の接点

 チンギス・ハンはモンゴル帝国を築き、そして末裔により征服王朝である元へと繋がる。彼等は政治制度・民族運営は遊牧国家の特性を強く持つ統治法を行い元時代の統治方法を現代社会も基礎部分ではそれを範としている。
 彼等の統治方法の特性は占領した国家及び民族からあらゆる分野での優秀な人材を採用し同化させている。チンギス・ハンは粗暴性は3割、情報戦略性は7割と思われる。
 歴史書には出てこないが、何故、急激に占領地域を拡大できたかと言えば、金を補充出来た事による。当時も今も戦争は金がかかるのであるが、その切掛を得たのはイランを占領した事による。
 ローマ帝国からの流れを継ぐベネチアの黒い貴族とイラン人の一部はつながりがあったこと、イラン人もまた積極的に仲介の動きをしたことにより、ロスチャイルドの前身となる組織からチンギス・ハンは金を借りているのである。そしてイラン人はイスラム教を前面に出しながらインドネシアを占領することが可能となった。
 しかし、黒い貴族にとって、世界征服は敵対的と見られたのか契約上の違いなのか理由は不明であるがチンギス・ハンは陣中で危篤に陥っている。チンギス・ハンの子孫を妻としたティムールも中国遠征の途中に病死している。紀元前のアレクサンダー大王も病死である。つまり、既に裏では世界的に統治体制が確立している中で世界征服を目論む者は全て途中で病死しているのである。これは規模こそ違うが現代でも同じである。

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