人口削減の方法について
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産業革命以降、人類は化石燃料を大量に消費し、物を生産し、壊す、そして地球を汚して破壊することを繰り返して来た。そして現代は生産性を上げて使い易い物を大量に生産している。物だけではなく食用とする家畜にも生産性を上げるという名目で大量に成長ホルモンを使用した結果、それを食する人間もホルモンバランスを崩す結果にもなっている。また医療においても健康状態を示す基準値を変更して医薬品会社の薬を大量に使用させて健康な人まで不健康な状態に貶めている。電力の送電もテスラの方式を使えば送電線は不要となり電磁波による健康被害も今よりは低いものとなっていたはずである。なぜ健康を破壊する現在の方式を選択したかは、全て金儲けができるかどうかが基準となっているためである。それは人類だけではなく地球のコアにも電子の滞留を招き地軸の傾きを変化させ、その結果、地球内部のマントルの流れと共にプレートの移動速度を変化させ、今までと違う海流の流れとなり偏西風等の気流の流れも変化した事により天候、気象は変化し異常気象と言われる現状になったのであり、地球環境の変化により人類滅亡の危機にまで面している。
今、日本近傍を流れる偏西風は日本を取り囲む様に2本の流れになっているが、天気ニュースの中の画像でも分かる状態であるにも関わらず、気象予報士も何も言わずに今まで通りの天気予報をするだけである。そして皆さんもお気付きのように晴天の穏やかな日は少なくなり、晴れていても風が強い日が多くなっている。後で述べるがこれも今後、利用されるのである。
上位支配層はどの様に指示を出すのかというと非常に大雑把な指示で、例えば「○×年までに地球人口をどれくらいまで削減せよ」という感じで下位組織に指示を出す。下位組織はそれを受けて指示を少し具体的に示し、更に下位組織に指示することを繰り返す。そして下に降りてくるに従い過激な方式に変化してくる。上位支配層は指示を出した後は、日本のパワハラ的な上司の様に微に入り細に入りの指導・監督はせずに実行されているかをただ確認しているだけである。その期間はどれ位かというと産業革命が始まった1760年代を現体制の始まりとすると約260年間に渡り確認して来たのであり、新たな人工削減指示は2012年に出されたと判断される。この間、支配層上位者も世代交代しているが、親から子へと継承される方式ではなく、欠員が生じると随時随所で要員を選定し補充していく方式である。
では、どれ位の人口を削減するかと言えば、現在の世界人口は77億と言われ、その2/3を削減すると思われる。26億人しか生き残れないのである。しかし、哲学者のマルクス・ガブリエルは3億人まで減らされると発言しているが、翻訳間違いでなければ最悪を考慮した数値の可能性がある。人口削減は各国均等に減らすと言うことではなく、ある国は滅亡し、ある国は影響を受けない等の不公平な方式のようである。その基準は新体制に相応しい人物かどうかであり、現在の金儲け第一主義者は淘汰しなければ新体制下でも同じ事を繰り返すため淘汰されると言われている。特定人物の場合は交通事故等、その手段は複数存在する。
人工削減は短時間で一気にする訳ではなく、早くて2035年までに、遅くても2040年までに完了させると言われている。
削減方法は、現在の世界的な異常気象を利用してこれまで以上の勢力の台風を出現させ猛烈な風と降雨を利用して大規模災害によるもの、人工的な地震を利用するものがある。人工地震の場合はS波がP波と比べて小さいかまたはない。初動での引きのP波(疎密波)が発生しない。震源が浅い。と言う特徴がある。そして実は新型コロナウイルスもその手段の一つである。新型コロナウィルスが4種類だとすると、その変異ウィルス数は限りなく多くなり治療して治ったとしても何度も罹るという事と、他災害と複合化した場合に感染者、死亡者が増加するのである。恐らく新型コロナウイルス対応の薬剤は未だ発表されずに、頃合いを見て発表されるのであろう。
そして最後にインターネットを利用した方式もあると言う。この細部は不明であるが、ネット、Facebook、Twitter、youtube等利用者の特性は支配層達が望む方向に誘導し易いという点に有るらしい。例えば、パソコンもスマートフォンも使えないという人に対して使える人は「遅れている」という表現を使うが果たして、本当に遅れているのだろうか?生活する上で必要がないと判断した人はネット利用に掛ける時間を他の有意義な事に使っているのではないだろうか。だとするとネットにのめり込んでいる人々を間違った方向に誘導し避難先を不適切な場所に選定する。非難をすることが必要なのに留まっていた方が安全という誤情報を流す等もあると思う。
最後に人間の劣化について述べてみる。現在は多様な人々が増えていることを好意的に捉える傾向にあるが、実は違うのではないかと思う。人は本来が持つ能力的なものである運動、思考、判断、精神の安定に関しては平均値または基準というものがあると考えている。それが違うということは、その人物の何かが劣化し間違っていると言うことではないだろうか。複雑な数式のある部分を間違えると正解とは違う答えが人の数だけ出てくる事と同じであり、それを多様化という表現をしているのではないか。自分に被害を与えない人物には多様化した人であるとして考え、被害、危害を与える人物には狂った人、危険な人と都合良く考えているのかもしれない。
本ブログは、これを見る人が自分で判断し、ウソを見抜き少しでも安全な生き方をするために活用して貰いたいと思っているが、多分、理解できる人は限られて来るであろうとも思っている。矛盾するようであるが、読者が増えて欲しいと思う反面、必要が無ければネットからは離れて欲しいと思う部分もある。とにかく今後、更に生活環境が悪化していく中で自分が判断する上での手助けになれば良いと思っている。
そう言えば、日本では、小泉進次郎議員が言った日本人は6000万人が妥当と言う話。これが示された一つの目標値であろうかと感じた次第。m-RNAワクチンを高齢者から接種すれば、年金受託者も削減できるし諸経費コスト削減にもなろうかという事かも知れません。しかし支配層のアルゴリズムが予期される人口増加を予知、予防出来なかったのかは不可思議な話でも有ります。産業革命による生産性向上を行わなければ或いは遅らせれば人口増加は今ほどは起こらなかったとも言えます。小生は一時はこの人口増加によるヒトの意識体としての有効性が必要で有る事で増やし、そして不必要となったら削減するという形では無かろうかとも。或いは実現性はとも角として宇宙進出という流れ。島流しか開発か。