復興オリンピックは平和オリンピックに変化した?
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2011年に始まった東京2020大会の招致活動では、スポーツの力が東日本大震災の被災地に夢と希望をもたらすことを訴え、結果としてオリンピックが招致された。
しかし、2021年7月16日、訪日したIOCバッハ会長は東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長と共に広島を訪問し、平和記念公園慰霊碑に献花した。
いつの間にか復興オリンピックは平和オリンピックになっている。本来であれば行くべきなのは西の広島ではなく東の福島であった。福島県民で復興オリンピックの理念を実感しているのは2割にも達していないのである。復興オリンピック・パラリンピックは東京2020大会の原点であると言いながら、その行動は違うのである。
自衛隊では作戦の立案をする際は、何の為にする作戦なのかを明確にする。上級部隊の作戦を理解し、各部隊及び各人の任務・地位・役割・具体的に達成すべき目標を明確にして作戦計画を作成し作戦行動を取るのである。
広島を訪問し、平和記念公園慰霊碑に献花した東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長は、オリンピックにおける自分の任務・地位・役割・具体的に達成すべき目標を理解していなかったと言う事になる。
それどころか、復興オリンピックの理念を掲げていたが、それは招致する為の言い訳だったと言う事である。人を判断するには日頃の発言よりも、いざという時の行動を見れば間違う事は無い。
次の選挙で政治家(実際には政治屋)はこう言うであろう。「私は命を掛けて国民の皆様の為に政治をする覚悟で御座います。」と。次の選挙では本当に国民の事を思って政治をする人物を選ばなければならない。これまで有名な政治屋であったとしても国民の為に動いていないと各人が判断すれば他の者に投票し、落とせば良いのである。